ナカザワの歩み

昭和40年当時の店舗

創業【昭和27年12月】

中澤時計店創業

戦時中、大阪から疎開していた時計修理職人より技術を学び、4畳半ひと間の時計修理店として旧甲西町下田に「中澤時計店」を中澤幸平が開業。
昭和48年湖南工業団地内に中央ショップを出店。昭和55年に現代取締役中澤実仟盛が入社し、同時期に視力測定車を導入。家族中心で力を合わせるも目標の年商1億円には届かなかった。

昭和40年当時

変革【昭和61年5月】

株式会社ナカザワ設立

平和堂甲西中央店開店当時

「家業から企業へ」を信念に法人なり。地元スーパー平和堂甲西中央店に出店、更にレンズメーカーHOYAのショールームを兼ねた県下最大規模の本店をオープンすることを皮切りに大手スーパー等のインショップとして多店舗展開に挑戦。年商も2億円を超える。

発展【平成9年3月】

株式会社ナカザワ設立10周年

店舗数は14を数え、その後も県内外に店舗数を増やしていく。
平成9年3月株式会社ザ・クロックハウスに共同出資し、株式会社西日本クロックハウスを設立。時計の全国チェーン展開のノウハウについて学ぶ。その後タイムステーションNEO展開のため出資を解消する。
平成10年新業態「タイムステーションNEO」を浜大津OPA店に初出店。店舗デザインに空間デザイナーの西脇一郎氏を迎え、新時代の到来にふさわしい開放的でおしゃれな店舗イメージを確立。更に業種の幅を広げるため、「ラピュール」「ラピュールブリエ」「グラスカフェ。」「ツインナカザワ」などの業態で多店舗展開を加速する。

転機【平成12年6月】

中澤実仟盛代表取締役就任

タイムステーションNEOの出店は滋賀にとどまらず京都河原町、東京お台場、神戸三宮へと進出。
しかし、急速な店舗展開が想像以上の財政負担を招き、一時的に手形がおちないとう危機的な状況に直面。幸いにして一難を乗り切ったものの失った信用を取り戻すまでに5年の歳月を要し、代表取締役就任直後の大きな試練となった。
平成16年タイムステーションNEOをイオンモールりんくう泉南店、イオン姫路大津店に出店。これを機に各地のイオン系ショッピングセンター等に次々出店していく。

業務提携

業務提携

飛躍【平成18年】

出店ペースを加速、国内70店舗へ

平成18年の頃より、飛躍的に出店ペースを加速。平成19年には22店舗もの大量出店をする。
しかし、平成20年9月のリーマンショックにより業績が悪化し、10店舗近くを閉鎖。平成23年3月、東日本大震災によりタイムステーションNEOイオンモール石巻店をはじめ12店舗が被災した。これらの苦境を全社一丸となって乗り越えたことで会社の絆を深め、さらなる飛躍の原動力となった。
また業績が回復した平成25年、実弟の独立の意思をくみ、眼鏡市場9店舗をのれん分け、35年ともに歩んだ道を分かつことになる。
このような紆余曲折はありながらも、店舗数は増加を続け、平成25年末には70店となり、年商も初めて50億円(平成25年度実績)を超える。

世界へ

挑戦【平成26年1月】

ナカザワグループとして海外初出店

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平成26年1月ベトナム・ホーチミンでイオンモールタンフーセラドン店に海外初出店。
海外ではアフターケアが手薄で時計はもっぱら売りっぱなし状態だが、ギフトラッピングや安心のアフターケアを「日本のおもてなし文化」として発信、中国、カンボジアにも出店し今に至る。今後も更に国内外ともに出店を加速させる。